元自衛官の手記

石垣島に戻ってきました。思う事は多々ありますが、今はただ出来る事を地道にやって行くしかないと思います。

以下元自衛官の友人の手記です

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自衛官の手記

2005年上旬某日、イラク復興支援のためイラク南東部に駐屯していた陸上自衛隊キャンプサマーワ近辺に迫撃砲が打ち込まれた。これはその時に始まった事ではなく、公表されていないものを含めると平均月に1〜2回は自衛隊宿営地近辺を狙ったと思われる迫撃砲の攻撃を自衛隊は受けていた。「近辺」と言うのには訳が有りその大半は宿営地外に着弾しており、実際宿営地に着弾したのは数回、それも炸薬の抜かれた砲弾により物資コンテナに穴が開いた程度の被害であった。攻撃を受けたあとの着弾地点と割り出される発射地点から、相手は意図的に方向をずらして発射しており、危害を加えるつもりが無いと思われるものがほとんどで、イラクへの自衛隊派遣以降「大成功」と評価できる民心獲得の成果もあって、世界で唯一、一人の負傷者も一発の実戦射撃もすることなく3年に渡る派遣を完遂したのは事実であると思う。

しかし多種多彩なリスクを抱えていた現場ではやはり多くの問題を抱えていた。
この時も迫撃砲らしき発射音と共に、宿営地上空を飛来する流れ星のような光の筋を目撃した隊員がいた、迫撃砲の砲弾が発光するかはさておき、このリスクを含んだ情報をしかるべき部署に報告、同時に宿営地警備隊も迫撃砲発射音を確認しているとの情報を得てマニュアルに沿って耐弾コンテナへと避難した。しかしこのマニュアルにある迫撃砲攻撃を宿営地全体に知らせるサイレンが数分経っても鳴らない、、、「おかしい!」直ちに防弾ベストとヘルメットを装着し指揮所へ向かうと首脳陣数名が話し合っている、何をのんびり話してるのか??この間にもこのリスクを知らず無防備に歩き回っている隊員がいるのである!!話に割って入り、情報を直接司令官に伝え、隊員を直ちに避難させるよう要請したところ、司令官はそれに答えて放送による口達で避難を指示した。
被害はゼロ、いつもの挨拶代わりの攻撃だったのであろうが、それは結果論である。実はこのようなケースが2〜3回あり、警備担当の私ですら攻撃を翌日知った事もあったのである。なぜこの様な事が起こるのか問い詰めるとある幕僚は「一々この様な兆候があるたびに警報を鳴らすのは適切ではない!」「米軍なんかはもっと落ち着いて対応している!」「警報を鳴らせば隣接する英軍基地にも報告せねばならず、誤報であれば迷惑が掛かる!」などと言うのである。
米軍こそ少しの兆候で予防的に警報を発し、落ち着いて耐弾施設に避難している、しかし自衛隊は同じ状況でも何も知らない隊員が布で出来たテント内で全裸になってお風呂に入って落ち着いている、、、この違いが理解できないのであろうか??危機管理という観点を持って多彩なリスク、それもその対応の失敗が隊員の死という可能性を含んだリスクを管理する上でなぜこれほど彼らと私の感覚がかけ離れるのか?一つ明らかなのは、彼らは行動を起こす際明確な根拠を必須とする、あの時サイレンを鳴らすのにも明確に迫撃砲で攻撃されている揺ぎ無い事実が必要だった、しかしそれは実戦では後の祭りにしかならない。攻撃により実際の被害・負傷者を確認するまで彼らは隊員を避難させられない。交戦規定についても武器使用は明確な根拠を必要としており、近代的市街地戦闘という超接近戦が起こりうる環境で明確な攻撃を確認してからの武器使用は隊員の犠牲が大前提で成り立つ。残念ながらこのようなナンセンスな危機対応しかできない人間が、現在の日本のエリートと呼ばれる人種に相当数存在しているのが現状である。そして今回の東日本大震災において3万人の死者・行方不明者、20万人の避難者を前に同様の事象が起きていることにただ怒りを覚える。

3月11日私達が未だかつて経験したことが無い未曾有の災害の一報を夢でも見ているかのような思いで見ていた。そして福島で原子力災害が発生している事も、、、現役時代、対テロ・NBC(核・生物・化学)兵器攻撃の際の第一線救護を研究していた事もあり、災害後のシナリオは予測できた。
真っ先に大宮の特殊武器防護隊に原発災害対応の非常呼集がかかる。
都道府県行政や原子力発電所も対テロマニュアルに基づいた訓練を実施しているからノウハウは知っているはず、現地入りした同部隊と連携したうえで。万が一放射能漏れや爆発に備え、汚染した破片等の予測爆散距離に安全域を加えた同心円状の区域、合わせて天気図から予測できる風向き・大気圧による空気の上下の動き・核燃料の量や比重から割り出せる扇状の汚染物質飛散予測区域を合わせた円+扇形の予測汚染区域が設定され、この区域内の住民は非難勧告がなされ、汚染の可能性がある者はこの区域に隣接して開設された除染所と救護所を通過して地域外へ避難することになる、、、
しかしながら、ご承知の通り私の予想通りのシナリオで事態が進む事は無かった。シュミレーションにより割り出される扇形の予想飛散地域は、震災発生後一ヶ月以上経って汚染が実際に確認されることで初めて「計画的避難区域」の名の元住民の避難が始まった。

この間当該地域の住民は放射性物質が降り積もる中、何も知らされることなく内部被爆の脅威に曝されていたということだ。確かに政府の言う通り「ただちに健康に影響を与えるものではない」線量だけなら、おそらく長期喫煙によるリスクの方が大きいレベルなのかも知れない、さらに内部被爆により癌を発症してもそれを証明するのは困難であろう。
放射線の影響は線源との距離の2乗に反比例する」内部被爆ではこの距離が限りなく0(ゼロ)となり結果影響は限りなく無限大となる、セシウム137の半減期は30年、多かれ少なかれこれを吸い込んでしまった住民が存在する。

危機管理をする上で決してしてはいけない事は、事象を楽観視することだ。
常に悲観的な視点で最悪の状況も視野に入れ、実際に起こりうる想定を悲観的に線引きし対応する。腹案を持って対応する想定外事象はなるべく最小限に留めなければ全てが後手にまわりいずれ能力の限界を超えてしまう。

迫撃砲攻撃の兆候というリスクの中、全裸で入浴している隊員がいるという状況を作ってしまったのは誤報かも知れないという楽観視から来たものだ。今回の内部被爆のリスクの中住民を適切に避難させることが出来なかったのも、原発は大丈夫という楽観視が招いた人災だ。リスクはそれが明らかなリスクとなってから対応したのでは単なる危機対応である、それが明らかになる前に対応してこそ危機管理と呼べる。思えば戦後の日本にはこの危機管理が欠けていたのではないか?事件にならなければ警察は動けず、拉致問題も未だに多くの被害者が特定失踪者と呼ばれ、竹島も占拠されたまま、様々な反日勢力に良い様に侵食されてしまっている。
すべて明らかな事象となってから対応してきただけで、その延長に今回の震災対応があるように思えてならない。今後この震災も未だに現在進行形であり復興にも多くのリスクが存在している。震災対応・拉致問題・領土問題・様々な反日勢力への対応を真の危機管理を持って対応してゆかねばならない時が来ている。