沖縄県総合防災訓練

出漁中の織田に代わって、東京から葛城です。

8月末から昨日まで、チャンネル桜の取材で石垣・竹富・宮古島に行ってきました。
詳しくは、後日番組でご報告しますが、今日は9月2日の沖縄県総合防災訓練の様子を簡単にご紹介しますね。

8月31日の織田の日記にもあるように、自衛隊の艦艇や航空機が続々と集結、F−15やP−3C、CH−47(チヌーク)が石垣上空を舞う様は、なかなか壮観で、予想を遥かに上回る規模に私たちも少々興奮気味でした。
ふだんは自衛官が10人にも満たない石垣島に730名が入ったそうです。

もちろん、消防や警察、海保、医師会、気象台等など数多くの団体、市民が協力しての訓練だったのですが、「訓練のための訓練でない訓練を」という中山市長(=市災害対策本部長)の熱意あるリーダーシップと、東日本大震災を経て磨かれた自衛官たちの活躍が光っていました。

中でも特に心に残ったのは、陸自15旅団による被災現場での捜索→重傷者搬送です。
被災現場に展開し、生存者を確認した倒壊家屋からチェンソーを使って屋根を切り抜き、太ももに金属が突き刺さった重傷者(隊員が迫真の演技で成りきっていました)に応急処置を施して搬送するという一連の動きに、釘づけになりました。
各隊員は、こちらの胸が熱くなるくらいに真剣そのもの。
聞けば、実際に被災地に派遣されていた隊員も多く含まれていたそうです。



こうした大規模かつ身のある訓練でさえ、地元の新聞はほとんど報じません。(特に自衛隊については)
訓練どころか、東日本大震災での実際の自衛隊の活動も、ほとんど記事にしなかったのですから、いびつというか、ありうべからざることだなと思います。