【魚釣島上陸から少し見えてきた事】 工藤淳一


平成24年8月19日朝、私は尖閣諸島魚釣島に上陸した。後で知ったが、私は『東京都議ら10人』の『ら』の方であった。なぜなら私は普通の農民で、いわゆる一般人だからだ。
石垣港に戻り、ホテルに帰った頃から携帯電話が鳴り止まなかった。それどころか私の知らない人からも上陸の感想を求められた。しかし、私に最初に尋ねてきたのは意外にも臨検のため小型高速艇でやってきた海上保安官であった。簡単な事情聴取が終わり巡視船に引き上げる間際になって私に
「上陸のご感想は?」
と聞いてきた。てっきり職務上尋ねたのかとおもって一瞬身構えたが、彼が職務質問したのでないことは、その非常に柔和な表情を見た瞬間に『あ、違う・・・』と判った。
「特にありません。私は政治家ではないので」
と、あえて答えてしまった。正直、この上陸に達成感も満足感も感じなかった。むしろ任務を遂行したという様な、なんというか、やるべき事を行ったに過ぎなかったからだろうか。それどころか、脇ではしゃぐ地方議員達を見ていて少し苛立っていたせいなのかもしれない。

上陸の達成感や高揚感や満足感といった、いわゆる自己満足感は私には全くない。それよりも、次の一手をどうするのか、どうしたら日本人が目覚めるのかで頭の中がいっぱいなのだ。
家路につく途中、様々なメディアが領土問題で賑わっているのを見てきた。しかし、ややもすれば従来通りのお門違いな『棚上げ論』に話をすり替えようとしている。棚上げすれば解決するのか?例えどんなことがあっても『日本の強い意志』を示す方が中国人の様な連中には判りやすいはずだし、それが世界中の全部の国が当たり前に行う『国家の意志を示す』ということだ。方法は問わなくて良い。しかし、日本だけがその意志を示そうとしないのは不思議だ。
こうして私は、いかに戦後日本が腐れ果ててきたかを憂うばかりであるし、上陸後はますますその憂いが深くなってしまったのだ。

最後に一つだけ私の心に安らぎと癒しを与えてくれた言葉があった。それは、私が乗船した漁船の船長と漁師さん(海人=うみんちゅと敬意を込めて言う)が私に言ってくれた言葉だった。
魚釣り島から漁船に戻った直後、私は直ちに“うみんちゅ”に謝りに行った。真っ直ぐ向かった。何よりもまずこの人達に謝るべきだと感じたからだ。なぜなら、彼等“うみんちゅ”はこうした海でのトラブル(この上陸も)の場合、翌日以降、毎日繰り返し海保に出頭を求められるからだ。場合によっては15日も出頭し延々事情聴取を受けねばならないので仕事が半月もできない。飯の食い上げになるからである。
相当怒っているだろうと思ったが“うみんちゅ”の眼を見て(というかむしろ睨み付けるように)謝った。
ところが、彼等はニヤリと微笑んでこう言い放った。
「ありがとう♪スッとしたよ〜」である。
私は腰が抜けるほどホッとした。しかもタバコまでくれた。
「ご褒美だ!」
上陸から1日後、警察での任意の事情聴取が終わった夜、私は数人の“うみんちゅ”に連行された。“うみんちゅ”御用達のキャバレーへである。
船長が私に熱く語っていた。
「俺たちは嬉しいのさ。こんな遠い島までやって来たお前達から愛国心というものを教わった。今までそう思ってなかったけど、ヤマト(本土の日本人)は俺たちを見放しては居なかったんだな!!ありがと!!同じ日本人だもんな!!」
ゴッツくて真っ黒に日焼けした熊みたいな船長が、泣きそうな顔で私の手を握りしめた。酔っぱらいすぎて気持ち悪かったが私もうっかり泣きそうだった。その途端、向かい席に座っていた同じ様なゴッツイ“うみんちゅ”が
「そんなことよりコイツに嫁を世話してやって〜♪女房に逃げられたからさ〜♪」

尖閣がある海で生きる男達が私を受け入れてくれた!石垣の“うみんちゅ”が同じ日本人だと言ってくれた!』
ズッコケながらも熱い心がこみ上げてきた。その瞬間、憂鬱な私の心がスッキリと晴れた。上陸して心から喜べたのだ。