お知らせ


やおよろずの森  頑張れ日本!全国行動委員会 共済

漂着ゴミ清掃活動 in 西表島
(「第12回尖閣諸島集団漁業活動」オプショナルツアー)

期日:平成25年4月24日 (自由行動日)
場所:西表島 中野海岸 (上原港から徒歩20分)
参加費: 6000円
対象: 「第12回尖閣諸島集団漁業活動」参加者
内容: 清掃活動、収拾漂着ゴミの調査<お問い合わせ> 頑張れ日本!全国行動委員会
  TEL 03-5468-9222
MAIL info@ganbare-nippon.net

尖閣上陸・ここだけの話【伊藤祐靖】

 伊藤です。尖閣上陸についてはあちこちで、語ったり書いたりしてきたが、今日は、どこにも発表してない、ここだけのお話。

 崖に国旗を設置して下山を始めると、下の方が騒がしい。巡視船からのサイレンと「直ちに上陸をやめなさ〜い」というアナウンス、県警ヘリが超低空で飛んでいる音が入り乱れている。上陸をしようとする者と阻止しようとする者との大捕物が始まったに違いない。見たい、見たい! これは、絶対に見なきゃな。灯台から少し登ったところに水路付近を一望できる場所がある。あそこは、この世紀の大鬼ごっこの特等席だ。そう思って300mの高低差を骨折覚悟で一気に駆け下りた。持っている技術のすべてを使って、視界が狭くなりながらやっとの思いで辿り着くと、「シーーーン」。
 あれ? 巡視船はどこだ? ゴムボートも走ってない? ヘリは、どこに行ったんだ? 
つまんね〜の!!
 がっくりうなだれて、トボトボと下山を再開した。重い足取りで灯台付近まで降りてくると、海に向かって旗を振っている人が居る。何で、海に向かって旗を振ってんだ?
ごっこやってんなら、最後の最後に出てって、みんなと一緒に拘束されようと思ってたけど、捕物やってないなら、このまま第一桜丸に戻っちまおう。
 巡視船は、2隻しかいない。その2隻とも、1kmは離れてる。死角を辿って、水路にさえ入ってしまえば、あとは200mで船に戻れる。でも、問題は、ここ灯台から水路までの平坦で見通しの効く岩盤をどう突破するかだ。……そんなもん匍匐しかない。匍匐には幾つかの種類があるが、私は2種類しか使わない。1つは、アリゲーター。その名の通り「ワニ」のような格好で進んでいく。背筋などの運動量は大きいが、肘から肩までの長さの高低差があれば、身を隠しながら、高速かつ最小の痕跡(身体を引き擦らないため)で移動することができる。もう1つは、ワーム(虫)。これまた、その名の通り「尺取虫」のように進む。虫や蛙が鳴きやまないくらい、つまり動いているかどうかほとんどわからない速度で敵の至近距離を通るため、時速10m以上は出さない。
 目測距離90m。5年ぶりに本気の匍匐前進を開始した。まずは、アリゲーター。だが、進み始めて、すぐに止まった。止まったどこじゃない。地面に突っ伏した。10mも進んでいない。400mを全力で走りきったときのように呼吸が激しい。泥も砂も干乾びた海草も一緒くたに吸い込むので、口の中がジャリジャリした。そんなもん、かまっちゃいられない。肺からは、血の匂いがする。まだ、あと80mもある。このままアリゲーターは、無理。下半身を引き擦る普通の匍匐に変更。考えてみたら、誰に追われてるわけじゃなし、痕跡なんかどうでもいいんだ。

 ところが、普通の匍匐も残り40mで止まった。半分を過ぎ、這っている状態で水路が見える距離まできたが、右、左と2歩進んでは、次の右を動かす気になるまで30秒は目をつぶり、口の中をジャリジャリさせながら激しく呼吸した。
残り、10m。酸っぱいものがコップ一杯分くらい湧き上がってきたので、口から出した。俺は、何をやってるんだろう。何で這ってるんだろう。俺は、亀なのかもしれない。そういや、子供の頃、親父は私のことを亀と呼んでいた。まだ歩けなかった頃、海に連れて行かれ、砂浜に放されると、這って、親父を振り切って一目散に海に向かっていったらしい。それが、生まれたばっかりの海亀に似ていたので、それ以降、親父だけが私を亀と呼んだ。変な時に変なことを思い出すもんだ。でも、這ってる幼児に振り切られる大人ってどうなんだ?
 最後の2mは、波の寄せるタイミングを見ながら、海に滑り込んだ。1分くらいは、呼吸もせず、ただ海水に身を任せてクラゲみたいに漂っていた。そうこうするうちに体温も下がって、ようやく動く気になってきた。浮力って、なんて偉いんだ! 
 静かに深く呼吸をしてからフィンを装着し、水路の出口まで行った。巡視船の方向を見ると、いつの間にか降ろされていたらしいゴムボートがこちらに向かっている。距離200m。あいつは、この水路に入ってくるに違いない。L字の水路の屈曲部、突き当たりでボートから降りるだろう。ということは、屈曲部を曲がって奥に行き、岩の間に潜んでいりゃ、わかりっこない。奥まで泳いでいくと、いい具合に岩の隙間に身体が入った。口と鼻だけが僅かに水面に出る。これなら、よっぽど運が悪くない限り見つかりっこない。潮も今は、下げの初期だから、水位が上がってきて溺死することもない。揺りかごみたいな心地よさに、寝そうになった。
 5分経った。ゴムボードは来ない。
 10分経った。まだ来ない。岩の隙間から身を出し、「痺れを切らす時って最悪のタイミングで身を晒すことが多いよな〜」と思いながら、意を決して屈曲部に行った。角から海を覗く。ボートは、いない。……な〜んだ。拍子抜けして、また出口に行き、第一桜丸の方を確認して、さあ近づこうと水中に顔を入れたとたん、残像の中に黄色のライフジャケットがいたような気がした。浮上して、もう一回、第一桜丸を見た。間違いない。船上にいるのは、黄色のライフジャケットを着た海上保安官だ!
 や〜めた。夜なら同じ船にいたって、わかんないように乗船できる可能性はあるが、昼間じゃ、どうやったって無理だ。そうか、水路に来ないと思ったら、ゴムボートは、第一桜丸に向かってたのか……。な〜んだ、吐くまで本気の匍匐をした上に、水路行ったり来たり、……さっきまでの俺は何だったんだ。でも、考えてみれば、上陸した者が船に帰ってくるのは当たり前だ。待ち受けて拘束すれば効率がいい。
 がっくり。観念した私は、重い足を引きずりながら、9人の上陸者の前に姿を現した。上陸メンバーの中で紅一点、やや高揚した様子の浅野久美さんに言われた。
「いや〜珍しいものを見させて貰いました。本物の匍匐前進!」
そりゃ、見ね〜わな。弾も飛んで来ないのに、自主的にここまで、するバカは、なかなかいない。しかも、無意味。

崖の上の「日の丸」に託した思い

ご無沙汰しております、葛城奈海です。

先般の尖閣全島&全岩礁めぐりのレポートもお伝えしたいのですが、その前に、
まずはこちら、8月19日に尖閣の崖に国旗を掲げた(「やおよろずの森」常任理事でもある)伊藤祐靖インタビューをご覧ください!


【言志】「尖閣上陸」特別インタビュー・伊藤祐靖 [桜H24/9/5]



ちなみに、現在発売中の文藝春秋10月号にも、
「元自衛官独占手記 尖閣に日の丸を掲げるの記」
として、伊藤祐靖の詳細な手記が掲載されています。

文句が有ったらかかってきなさい!

先日、東京都が行った調査の取材を兼ねて尖閣に行って来た。今回は1日夜出港して帰ったのは3日の昼過ぎ、十分時間があったので久場島大正島、小さな岩礁まで網羅してきた。釣りやスノーケルも結構できたのだが、改めてこの海のポテンシャルの高さには驚いた。釣りをしてると一時間に一度くらいは超大物が掛かり強度のあるナイロンや繊維製の糸をぶっちぎられて悔しい思いをする。釣れる魚も内地なら高級魚のオンパレードだ。ついつい殆ど寝ないで釣りに没頭してしまった。また、熱帯のカラフルな魚が見れるかと、岩礁でスノーケルした時、目の前に成長しきってクチバシが黒くなった石鯛が群れてて目を疑った。秘境好きで小笠原はもちろん、五島列島の先の男女群島、海外ならガラパゴスやココ島にも行ったが、尖閣はずば抜けてる!やっぱ潮が普通じゃないんだと思うよ。私の最高の遊び場だ、死んでも渡さん!!

【魚釣島上陸から少し見えてきた事】 工藤淳一


平成24年8月19日朝、私は尖閣諸島魚釣島に上陸した。後で知ったが、私は『東京都議ら10人』の『ら』の方であった。なぜなら私は普通の農民で、いわゆる一般人だからだ。
石垣港に戻り、ホテルに帰った頃から携帯電話が鳴り止まなかった。それどころか私の知らない人からも上陸の感想を求められた。しかし、私に最初に尋ねてきたのは意外にも臨検のため小型高速艇でやってきた海上保安官であった。簡単な事情聴取が終わり巡視船に引き上げる間際になって私に
「上陸のご感想は?」
と聞いてきた。てっきり職務上尋ねたのかとおもって一瞬身構えたが、彼が職務質問したのでないことは、その非常に柔和な表情を見た瞬間に『あ、違う・・・』と判った。
「特にありません。私は政治家ではないので」
と、あえて答えてしまった。正直、この上陸に達成感も満足感も感じなかった。むしろ任務を遂行したという様な、なんというか、やるべき事を行ったに過ぎなかったからだろうか。それどころか、脇ではしゃぐ地方議員達を見ていて少し苛立っていたせいなのかもしれない。

上陸の達成感や高揚感や満足感といった、いわゆる自己満足感は私には全くない。それよりも、次の一手をどうするのか、どうしたら日本人が目覚めるのかで頭の中がいっぱいなのだ。
家路につく途中、様々なメディアが領土問題で賑わっているのを見てきた。しかし、ややもすれば従来通りのお門違いな『棚上げ論』に話をすり替えようとしている。棚上げすれば解決するのか?例えどんなことがあっても『日本の強い意志』を示す方が中国人の様な連中には判りやすいはずだし、それが世界中の全部の国が当たり前に行う『国家の意志を示す』ということだ。方法は問わなくて良い。しかし、日本だけがその意志を示そうとしないのは不思議だ。
こうして私は、いかに戦後日本が腐れ果ててきたかを憂うばかりであるし、上陸後はますますその憂いが深くなってしまったのだ。

最後に一つだけ私の心に安らぎと癒しを与えてくれた言葉があった。それは、私が乗船した漁船の船長と漁師さん(海人=うみんちゅと敬意を込めて言う)が私に言ってくれた言葉だった。
魚釣り島から漁船に戻った直後、私は直ちに“うみんちゅ”に謝りに行った。真っ直ぐ向かった。何よりもまずこの人達に謝るべきだと感じたからだ。なぜなら、彼等“うみんちゅ”はこうした海でのトラブル(この上陸も)の場合、翌日以降、毎日繰り返し海保に出頭を求められるからだ。場合によっては15日も出頭し延々事情聴取を受けねばならないので仕事が半月もできない。飯の食い上げになるからである。
相当怒っているだろうと思ったが“うみんちゅ”の眼を見て(というかむしろ睨み付けるように)謝った。
ところが、彼等はニヤリと微笑んでこう言い放った。
「ありがとう♪スッとしたよ〜」である。
私は腰が抜けるほどホッとした。しかもタバコまでくれた。
「ご褒美だ!」
上陸から1日後、警察での任意の事情聴取が終わった夜、私は数人の“うみんちゅ”に連行された。“うみんちゅ”御用達のキャバレーへである。
船長が私に熱く語っていた。
「俺たちは嬉しいのさ。こんな遠い島までやって来たお前達から愛国心というものを教わった。今までそう思ってなかったけど、ヤマト(本土の日本人)は俺たちを見放しては居なかったんだな!!ありがと!!同じ日本人だもんな!!」
ゴッツくて真っ黒に日焼けした熊みたいな船長が、泣きそうな顔で私の手を握りしめた。酔っぱらいすぎて気持ち悪かったが私もうっかり泣きそうだった。その途端、向かい席に座っていた同じ様なゴッツイ“うみんちゅ”が
「そんなことよりコイツに嫁を世話してやって〜♪女房に逃げられたからさ〜♪」

尖閣がある海で生きる男達が私を受け入れてくれた!石垣の“うみんちゅ”が同じ日本人だと言ってくれた!』
ズッコケながらも熱い心がこみ上げてきた。その瞬間、憂鬱な私の心がスッキリと晴れた。上陸して心から喜べたのだ。

おひさ

知らない人はいないと思うが、先日尖閣魚釣島に多くの日本人が上陸した。この少し前に新しく理事になってもらった伊藤 祐靖さんと工藤 淳一さん他が上陸したのでそのうちブログに書いてもらう予定だ。

動画の終わりに出てくる崖の上の日の丸をシナ人が見たときの反応が楽しみですな!
悔しかったら登っておいでぇ〜。

嘘八百!


http://headlines.yahoo.co.jp/commercial/videonews/
先日起きた尖閣での巡視艇の接触事故、故意じゃないだの領海の外だとか言っても嘘はすぐばれる。日本の海保の「みずき」は船尾、台湾の巡視船の船首に傷があれば馬鹿でも台湾がオカマこいたってのが理解出来るよな!道路だったら後ろからの追突事故は100%追突した方が悪いんだよ!!
領海外っていってもバックに魚釣島がはっきり映ってどう見ても日本領海内でやってくれたわけだ。マスゴミも相変わらずパンダパンダの押し売りか・・・ゴミだなマジで。
台湾も嘘つきシナ人がごっそり移民して、中国の犬に成り下がるって言うなら見切り時だろうよ。中国共産党も同胞の安全を願ってるってよ。
さて、どうする日本?あんまり舐めた対応してると、シナ人より危ない怒った日本人が暴れだすかもよ。