終戦の日に思う

昔々、私が野暮用でテキサスのサンアントニオにあるラックランド空軍基地に滞在していた時の話。ラックランド空軍基地には様々な訓練や研修を受けるために渡米した世界各国の軍人が、最初に英語の語学研修を受けるための施設がある。アジア・ヨーロッパ・アフリカに至まで様々な国の軍人が滞在するこの研修所は生活習慣・宗教の万博会場と言える様な所であった。その研修所である時、某イスラム教国家の連中と世間話をしていた。もちろんアメリカに居ようが定時の礼拝は欠かす事が無い連中だ。最初の内はやれサッカーで日本に勝った!だの、日本の女は良い!などと友好的な会話が弾んでいたのだが。ある時、見るからに真面目そうな青年が話題を変えて質問してきた、、、
「お前達の神は誰だ?」
私は正直この話題にだけはしたくなかった。時期的にも911後、アメリカが国連決議をぶっち切ってイラクに攻撃を仕掛ける可能性が燻っていた頃だ。しかしながらこう正面切って質問された以上、誠意を持って答えねば失礼と感じ、これに答えた。
「ニホンジンはやおよろずのカミという考えを持っている、全てのモノにカミが宿ると考え、自然を崇拝し、先祖を祀る、キリストもアラーもブッダもカミとして尊重する。」
するとその青年は「ではその自然や先祖、すべてのモノは誰が造ったのか?」
分っている「アラーだ!!」と言いたいんだろう。この話はこれで平行線まっしぐらだ、、、やばい!!と思いつつも。
「私達は自然が先にあり、神が造ったとは考えていない。」
「いやそれはおかしい!!」
何度も逆に聞き返してやろうと思った「ではアラーは誰が造ったのか?」しかしこの質問は彼らにとってアラーへの冒涜に繋がりかねない、、、我慢我慢!!
少し緊迫し始めたのを察した他国の隊員が「お互いを尊重しなければいけないよ。」と上手く話を切ってくれたが、その青年に納得の表情を見ることは無かった。それから半年も経たないうちにアメリカはイラクへの攻撃を強行する事となった。そして今、この戦いは完全に収束不可能、恐らく数世紀に渡る遺恨を残し現在も続いている。
元々同じルーツであるユダヤ・キリスト・イスラムが言うなれば血で血を洗う兄弟喧嘩を繰り広げていたこの10年、私は全てに対して寛容になれる「やおよろずのカミ」という考え方を継承してくれた私達の祖先に一段と感謝をするようになった。すべてのモノを誰が造ったか?知る由もない、ひょっとしたら本当に超進化した宇宙人が全てをデザインしているのかも知れない。でも一つだけ確かなのは現在の日本は私達の祖先が造った。この素晴らしい遺産は私達の祖先が残したものだと言うことは決して変わることがない。そしてこの時期、お盆そして今日終戦の日は、これらを私達に継承すべく戦い抜いてくれた祖先に対する感謝と、カミに対するのと同等の敬意を表し、これを後世に伝えて行かなければならないと思う。私はしばらく靖国には行けないが、ここ八重山で私も一人のニホンジンとしてその責務を果たそうと思う。





おまけ:写真は一昨年訪れたイスラエル西岸地区つまりパレスチナヘブロンにあるアブラハムモスク。
ヘブロン - Wikipedia


預言者アブラハムはキリスト・ユダヤイスラムにとって聖者、つまりここは三者共通の聖地の一つ。この町に住む住民はこれらが同じルーツである証拠を目の前にしながらユダヤ人入植地から下を歩くイスラム系住民にモノを投げつけ、写真のようなブロックなども投げ時には死人が出る始末。それから身をまもるためこの様な金網を路地の上に取り付けている。「負の連鎖」の極み、馬鹿馬鹿しいが之が一神教の現実なのだ、やおよろずのカミの考えならこうはなるまい。